You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

シュノンソー~ロワール川③~

  オルレアンからロワール川に沿って古城を巡る。ブロワ城,シャンボール城,アンボワーズ城,シュノンソー城。一般にロワール川の古城の中で最大のみどころはフランソワ1世とレオナルド=ダ=ヴィンチの因縁があるシャンボール城であろうが,もっとも華麗な出で立ちなのはシュノンソー城であろう。ロワール川の支流シェール川を跨いで建つその優雅な姿は花嫁がウェディングドレスのトレイン(長い裾)を引くようで,実に女性的である。実際にこの城は「6人の奥方の城」ともよばれ,6代にわたって城主はすべて女性であった。そのうちの一人がカトリーヌ=ド=メディシスである。カトリーヌがこの城を巡って繰り広げた愛憎劇は昼メロ顔負けであった。

 14歳の若さでフランス王室に嫁いだカトリーヌ。イタリアから見れば後進国での生活は右も左もわからぬ有様。頼れる人であるはずの夫アンリ2世は自分には目もくれず,愛人との密会にいそしむ体たらく。そんなカトリーヌを支えたのがディアンヌ=ド=ホワティエという女性であった。母のようにディアンヌを慕うカトリーヌであったが,やがて衝撃の事実を知ることになる。夫アンリ2世の愛人こそこのディアンヌであったのだ。嫉妬と怒りと絶望に気が狂うほどであったろう。アンリ2世がディアンヌに贈った城こそシュノンソーであった。

 カトリーヌはアンリ2世の死後,ディアンヌに彼から贈られた品のすべての返還を迫った。そのリストまで作っていたというから徹底したものである。シュノンソーを奪い取った(奪い返した?)カトリーヌが次の城主となった。カトリーヌ40歳のことであった。ディアンヌ自身も抵抗することなく返却に応じて宮廷を去ったというから,カトリーヌの本気を悟ったに違いない。抵抗の末路にあるものの意味をよくわかっていた。抵抗は無意味だった。

 驚くべきことはカトリーヌがアンリの死まで待ったということである。この我慢強さは瞠目に値する。カトリーヌのこの忍耐力は,生来のものか権謀術数渦巻く当時のイタリア上流階級の遺伝子かはわからないが,カトリーヌはその後もフランスをヨーロッパの強国とすべく奔走する。早逝したものの3人の王の母后となり摂政も務めた。「サン=バルテルミーの虐殺」は二番目のシャルル9世のときのことである。他の子どもたちもヨーロッパのそうそうたる強国と渡り歩くための駒として政略結婚を進めた。

 カトリーヌは夫の死後,黒い衣装しか身に着けなかったという。「黒衣の王妃」ともよばれた。シュノンソーのその白さとは対照的である。