カヌビエール通りを抜けると,マルセイユの顔というべきベルジュ埠頭に出る。所狭しとヨットやクルーザーが停泊している。埠頭には朝から漁師がとってきた新鮮な魚を売る朝市が立つようだが,私の行った午後の時間帯にはもう魚を売る人は1人もいなかった。
マルセイユ名物といえば,魚介スープのブイヤベースをすぐに思いつくが,魚介を適当に入れただけではブイヤベースとは呼ばないらしい。なんでも決まったいくつかの魚を使う必要があり,ガシラ(オコゼ)・ホウボウ・アンコウ・マトウダイなどから最低4種類が入っているのが条件らしい。いずれもグロテスクな容姿の魚だが,グロテスクな魚ほど味は上等である。その一方でイカやらタコ,ムール貝やアサリなどを入れないのもその特徴で,イタリアの魚介料理とは一線を画している。
本場のブイヤベースを食べる絶好の機会だったが,昼食をとるには遅すぎて夕食には早すぎて,ましてや資金も潤沢とはいえない学生旅行。相手は世界三大スープの横綱級,うかつに手を出してはいくらとられるかわかったものではない。ここはまたの機会のお楽しみとして,ベルジュ埠頭をあとに丘の上の教会を目指す。
ベルジュ埠頭の南側の小高い丘の上の黄金のマリア像をめざす。住宅街,ひたすらの坂道であるが,教会の手前もう一息のところで視界が開け,海がみえる。道端のコデマリだろうか,白い花が少し傾きかけた夕暮れ前の日光を受けて輝いている。見上げればマリアもイエスも輝いている。丘の上に辿り着いてよくよくみると,金色の聖母は神々しさも感じられるが,逆にまっ金・金のイエスはどうもグロテスクで無気味であった。
丘の上の教会はノートル・ダム・ド・ラ・ギャルド。ノートルダムと金の聖母子が示すように,聖母に捧げられた教会である。ギャルド(ガルド)は「garde」,ガード(守護)の意味である。この場合ガードには2つの意味がある。現在の教会は19世紀のものであるが,それ以前からこの教会は存在した。港街の丘の上に建てられたことから,海難事故から海に生きる人々を守護する聖母として崇敬されたということ。そしてもう1つ文字通り物理的な目的もあった。
16世紀,イタリア戦争を戦っていたフランソワ1世がマルセイユ防衛のために2つの命令を出した。1つが見晴らしのよいこの場所に聖堂と一体となった砦を築くこと。そしてマルセイユ湾内のイフ島にイフ城(シャトー・ディフ)を築くことであった。
マルセイユの港に入るには通過しなければならない小島がいくつかある。丘の上の教会からは西の方角にその島々がみえる。その1つでもっとも小さい島がイフ島である。同時に城であり,フランソワ1世によって要塞となった。フランソワの宿敵神聖ローマ皇帝カール5世もこのイフ島をみて,マルセイユ攻撃を踏みとどまったというほどである。その後,孤島であり周囲の海流条件から脱獄不能といわれる牢獄として利用された。このイフ島が世界的に有名になったのはアレクサンデル=デュマの『モンテクリスト伯』だろう。同じような例にサンフランシスコのアルカトラズ島,フランス領ギアナのデビルズ島,南アフリカ共和国のロベン島がある。いずれも脱獄不能とよばれた島を脱獄してしまう男たちのドラマがあった。不可能を可能にするというテーマはいつも男を虜にする。
『モンテクリスト伯』では無実の罪で投獄されたダンテスの復讐劇が描かれた。これは明治期のジャーナリスト黒岩涙香の訳『岩窟王』の名前で少年向けにも編集してあるので,子どもにもお勧めの物語である。デビルズ島の脱獄はスティーブ=マックイーンが『パピヨン』(1973)で,無実の罪で流刑となり脱獄に取り付かれ,最後には成功する男の姿を演じた。クリント=イーストウッド主演の『アルカトラズからの脱出』(1979)はもっとも有名な脱獄劇だろう。これは実話でこの刑務所から脱出したフランク=モリスの事件を映画化している。この場合モリスはれっきとした犯罪者で,犯罪者を一種の英雄視するアメリカに感心したものだ。ただ脱出が成功したかどうかわからない。南アフリカ共和国のロベン監獄からの脱出に成功したのはゴルゴ13ことデューク東郷。不可能を可能にすること自体が,この方の仕事ですからやむを得ません。