ルツェルンはチューリッヒから鉄道で1時間ほどのところにある。日帰りで行ける。ルツェルンにはルツェルン湖がある。このルツェルン湖の周辺から現在のスイスが始まった。スイス発祥の地といってよい。14世紀,ルツェルン湖を取り巻く,ウーリ,シュヴィーツ…
ホルバイン追記 イエスを神性から解き放ち,「神は存在するか」を問いかけた日本の作家もいる。遠藤周作である。「白痴」のホルバインを見に来て,遠藤の『沈黙』を思い出した。物語のクライマックス,日本に潜伏していたポルトガル人司祭ロドリゴの絵踏みの…
チューリッヒから列車で1時間半のところにバーゼルという都市がある。現在はここバーゼルでフランス・ドイツ・スイスの三国が接している。地図によると三国国境は中央駅から北に約5㎞,少し離れたところにある。途中寄り道しながらのんびりと歩いていくこと…
スイス観光の拠点となる宿を探す。次の日もその次の日も鉄道を利用するので,宿は中央駅に近いところで探す。チューリッヒ中央駅から延びる路面電車の線路沿いに歩いた。縦横に伸びた路面電車に電気を供給する電線が両サイドの建物からの蜘蛛の巣をはったよ…
スイスの首都はベルンというところにあるが,チューリッヒはスイス最大の都市といってよい。「Zurich」と綴って,英語だと「ズーリック」という発音になる。「-ch」を「ヒ」と発音するのはドイツ語の特徴で,スイス北部,ドイツに近いこの辺りはドイツ語圏で…
ブフスを出発した列車はまもなくザルガンス(Sargans)に着く。ここで降りる。ローカル線に乗り換えて10分もしないうちにマイエンフェルト(Maienfeld)という小さな町,というより村に到着する。ここがこの日の本当の目的地であった。下車する人は他になく,周…
ドイツに別れを告げてスイスのチューリヒに向かう。向かうのだがまっすぐチューリヒを目指しても面白くないので,前夜トマスクック時刻表をながめながら少し遠回りしてオーストリア経由のルートを思い立った。 オーストリアはそもそも旅程にはなかったが,こ…
今年度の仕事が一段落ついたので,今年も10日ほど海外に渡航する。今年は,ルーマニアをメインに,ブルガリア,セルビア(行き帰りにハンガリー,オーストリア)を回る。 ルーマニアとブルガリアの陸路国境は,今年の1月1日より正式に入国審査がなくなった。パ…
ミュンヘン中央駅に戻り,午後はダッハウへ向う。Sバーン(S2線)とよばれる近郊ローカル線にのる。ダッハウ駅まで約20分。駅前のバス乗り場からバスにのって約10分。ダッハウ強制収容所に着く。英語表記で「concentration camp」と書かれている。「強制収容所…
ミュンヘンに行く。アウグスブルクからミュンヘンまでは鉄道で1時間以内に着く。ミュンヘン中央駅はターミナル駅,つまり終着駅である。ミュンヘンはベルリン,ハンブルクに次ぐドイツ第3の都市で,バイエルン州の州都であるだけあって,さすがに駅構内の広…
ルートヴィヒ2世についてはヴィスコンティが監督した『ルートヴィヒ 神々の黄昏』(1972)という映画がある。私が見た当時,VHSのビデオテープで2本組みの大作であった。その長さは約4時間。これといったクライマックスもなく,ただ淡々とルートヴィヒ2世の即…
ノイシュヴァンシュタイン城の主はルートヴィヒ2世(1846-88)。彼が幼少期を過ごしたのが,彼の父が改築したホーエンシュヴァンガウ城であった。父マクシミリアン2世がこの城を購入したとき,城の名はシュヴァンシュタインといった。シュヴァンは「白鳥」意味…
歩道は迷うことなくホーエンシュヴァンガウ城の麓まで続く。ここに観光客用の駐車場があり,お土産物屋,食堂などが軒を並べている。ノイシュヴァンシュタインへの山道の入り口だ。 ドイツ語では城を表す言葉が2つある。1つは「ブルク(burg)」である。「ブル…
翌朝,食堂兼宿屋の1階で朝食をとる。いわゆるコンチネンタルブレックファスト。ヨーロッパ大陸の簡素な朝食である。コーヒーにパン。しかしこのパン,見たことも食べたこともないような,そして食べきれるはずのない量。そして何よりジャムの種類の豊富なこ…
フッガー家の融資先は神聖ローマ皇帝だけでない。ローマ教皇庁も大のお得意様であった。16世紀初頭は宗教改革の時代でもある。ご当地ルターがローマ教皇庁の発行する贖宥状(免罪符)に対して「95ヶ条の意見書」を出したのが1517年のことであった。 贖宥状とは…
南ドイツのような内陸地が中世ヨーロッパにおいて大きな商業圏を形成できた背景にはイタリアの商業交易都市ヴェネチアの存在があった。ドイツは当時最大の香料,とくに胡椒の大消費地の1つであった。中でもヴェネチアは東方貿易で得た胡椒などの物産をドイ…
リューデスハイムからマインツまでの短い間,ライン川は東から西へと流れる。この間川の西岸は南岸となり,東岸は北岸となる。私は今まで川の西岸を遡って列車に揺られていたため,しばらくの間対岸となる北岸の風景を眺めながら東へと進むことになる。そし…
コブレンツ~マインツ間は歴史的興味に尽きない区間であるが,私には見逃してはならないものがあった。もちろん観光名所としても有名であるが,「ローレライ」である。ハイネが「ローレライ」に寄せた詩を残し,これにドイツの作曲家フリードリヒ=ジルヒャ…
モーゼル川はもう1つワインの産地としても有名である。フランスはもちろんのこと,モーゼルワインといえば一般にドイツワインのことを指す。モーゼル川とライン川が交わる交点のコブレンツを頂点にして河川に沿ってブドウ畑が広がっている。 ブドウとオリー…
ケルンからライン川をさかのぼる。次の停車駅はボン。ボンはドイツが東西分裂後,西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の首都となった。初代首相となったアデナウアーは,将来統一したあかつきには,再びベルリンに首都が戻れるよう,例えばフランクフルトやハンブル…
次の日。ケルンである。「ケルン」と日本語で表記するが,ドイツ語では「Köln」と表記し,思いのほか発音が難しい。Oの上にテンが2つ付くのはウムラウトという記号で,「オ」の口のまま「エ」といってみる。「コロン」の方がドイツ語に近い。英語でもフラン…
1993年春,ドイツのフランクフルトからイタリアのローマを目指した。期間は約2週間。途中立ち寄る街はあらかじめ決めていない。したがって宿もその場で探すことになる。こういうことができたのも若いうちで,いまやそんな体力も気力も存在しない。 当時,大…
国立歴史博物館へ向かう。二徴夫人祠から歩いて約20分だが酷暑の行軍である。いつも通り博物館の中も冷房は効いていないだろうとあきらめていたが,予想はよい方に裏切られた。何と快適で涼しいことか。見物する前に中で一先ず休憩をとる。この歴史博物館の…
ハイバー・チュン ホテルで汗を流して休憩したあと,再び出かける。フロントのスタッフにタクシーをつかまえてもらい,ドライバーに行先を伝えてもらった。昨日みなで場所を探した「デン・ハイバーチュン」である。ホテルから南へ車で10分。ハノイの下町にそ…
ホー=チ=ミン廟の東にあるタンロン遺跡へと向かう。北ベトナムの歴史の大半,その中心であった場所である。まだ中国とベトナムの国境があいまいであった古代,このあたりには古越とよばれる人々が暮らしていた。「越」はベトナムをあらわす漢字であるが,…
この日は街を歩き回る。まずはホーチミン廟へ向かう。このとき私はMaps.Meというオフラインで使用できる地図アプリを使用していた。ルート検索をして歩き出し,しばらくするとあることに気づいた。ルートは線路上を示しているではないか。 半信半疑で進んで…
荷物を置いて街に出かける。もうすでに日は傾いていた。この日はできることに限りがある。できることは何か。水上人形劇の鑑賞である。水上人形劇場はベトナム各地にあるが,ハノイが本場である。ホテルから歩いて数分のところ,ホアンキエム湖の北のほとり…
懐かしい記憶の中のホン川に感動しているうち,車はハノイ市内に入る。まもなくホテルに到着。予約したゴールデン・サン・スイーツ・ホテルは幅3メートルほどしかない4階建ての細身の建物であった。よくみると隣のホテルはゴールデン・パレス・ホテルとなっ…
ラオスに行くにあたって一度ハノイに立ち寄ることにした。ハノイはベトナムの首都である。ホテルはトリップアドバイザーで上位の3つ星ホテル。口コミ評価が抜群によく,立地も申し分なかった。ホテルにはあらかじめメールで送迎をお願いしておく。 ハノイ国…
クチの見学を一通り終えたあと,私たちが腰かけていたテーブルにガイドさんがお茶とお茶請けをもってきてくれた。皮を剥いた白い山芋のようなその食べ物はキャッサバであるという。タピオカなどの原料である。生でみたのは初めてで,当然食するのも初めてで…