マルセイユのサンシャルル駅は町を見下ろす高台にある。ホテルは駅のすぐ隣にあるArcadeというところにすぐに決まった。(現在はIbisホテル)駅至近にホテルをとるのは,列車移動に便利なのと,駅には食堂が集まっているため,食いっぱぐれることがないからで…
フランス第二の都市マルセイユは,フランス最大の港湾都市でもある。日本ではちょうど横浜にあたりそうだが,姉妹都市になっているのは神戸である。紀元前6世紀には古代ギリシャ人の植民地として築かれた。その当時はマッシリア(マッサリア)とよばれた。ギリ…
パリ・リヨン駅は文字通りリヨンへと向う駅であるが,中部リヨンだけでなく,フランス南部各地へ旅行者を誘う玄関口である。ここからTGVでマルセイユに向う。1993年,初TGVであった。TGVは「高速鉄道」のフランス語略称で,フランス版新幹線だと思ってよい。…
オルレアンからロワール川に沿って古城を巡る。ブロワ城,シャンボール城,アンボワーズ城,シュノンソー城。一般にロワール川の古城の中で最大のみどころはフランソワ1世とレオナルド=ダ=ヴィンチの因縁があるシャンボール城であろうが,もっとも華麗な出…
オルレアンから西へはロワール川沿いに車を進める。途中レストランで昼食をとるがここまで来ると英語がまったく通じなかった。30年以上前の話である。習ったばかりの初級フランス語を駆使して尋ねてみた。「Je peux manger?(食べることができますか)」正しい…
車を借りて,パリ郊外へと出る。目指すはロワール川の古城であるが,まずはフォンテーヌブローに寄り道する。19世紀半ば,フランスでは印象派が誕生する前段階に,自然主義・写実主義とよばれる絵画が生まれた。パリ南部郊外のフォンテーヌブローや隣村の…
サンジェルマン通りとサンミシェル通り,2つの大通り(ブルヴァール)が交差するあたり,この周辺はカルチェラタンとよばれる学生街である。「カルチェ」は地区,「ラタン」は「ラテン」を意味する。かつてヨーロッパの学問語であったラテン語が話される地区と…
セーヌ左岸に宿泊したのは,ロンドンから鉄道で海峡を越えてパリに立ち寄ったときであった。到着駅パリ北駅からRER:B線でシテ島向いのサンミシェル・ノートルダム駅で降りる。翌日はシャルル=ドゴールから空路帰国する予定であったため,空港へ直通するB…
シテ島のもっとも西側,つまり下流にかかっている橋がポン・ヌフ。これもまた私の勘違いで,「ヌフ(neuf)」はフランス語で数字の「9」なので「第9橋」だと思い込んでいた。事実シテ島とセーヌ両岸は9本の橋でつながっている。しかし「neuf」にはもう1つ「新…
ヴィクトル=ユーゴーといえば『レ・ミゼラブル』。『レ・ミゼラブル』といわれても,フランス語が分からないとタイトルから伝わってくるものはない。私が小学生だったころ,図書室には『ああ,無情』という題で小学生用に編集されたものがあった。「無情」…
主要都市の大聖堂がそうであるように,パリの大聖堂もまた「聖母マリア」に奉献されている。フランスの民衆はこれらの教会を,親しみを込めて「われらが婦人」つまり「ノートル・ダム」とよんだ。「われら」の部分が単数形になると「マ(ma)」となり,「マ・…
シテ島とその隣のサン=ルイ島はセーヌ川の中洲の島で,ここがパリ発祥の地である。ユリウス=カエサルの『ガリア戦記』ではガリア人(ケルト人)のパリシィ族がこの周辺に住んでいたことが記され(第6・7巻),このパリシィ族が「パリ(ス)」の語源となった。 (f…
「パリの空の下セーヌは流れる」というフレーズは,フランス映画(1951)からである。映画の主題歌『パリの空の下(Sour ciel de paris)』はだれもが耳にしたことがあるシャンソンの代表選手である。シャンソン界の大御所エディット=ピアフはじめ,多くのフラ…
メトロ1号線の旅,最後はパリ・リヨン駅である。リヨン駅のリヨンはフランスの地名。中部のリヨンや南部のマルセイユに向う列車が発着するためリヨン駅の名が着いた。 リヨン駅もまた旅情をかきたてられる駅の1つである。北部のドーバー海峡の町カレーでイ…
今でもあるのだろうか。メトロにはカルネという回数券があった。メトロの運賃は一律同じなので,1回乗るごとに回数券の束から一枚ちぎって使う。回数券といっても当時は切符大のブルーの厚紙だった。日本と比べるとそのクオリティの低さに唖然とした。今と…
パリ市庁舎。オテル・ド・ヴィル(hotel de ville)というがホテルではない,市役所の意味である。市庁舎はルネサンス様式。ルネサンス自体が古代ギリシャ・ローマの再生にあったから,ルネサンス建築が目指すものは古代建築ということになる。これまでに発展…
スマホを使い出して10年以上経つ。最初はIphone4であった。当初はまだ携帯の主流ではなく,もの珍しかったのもあったが,世界対応だったのが決め手であった。その二年前,どうしても海外から緊急に国際電話をかける必要があり,公衆電話やホテルの電話で難儀…
シャトレ駅は知る人ぞ知る,『サムライ』(1967)という映画のワンシーンが撮られた場所である。題名から邦画っぽい感じはするが,正々堂々フランス映画である。アラン=ドロンが一匹狼の殺し屋に扮し,パリを舞台に殺しと逃走を繰り広げるハードボイルド・ア…
パレ・ロワイヤルからルーヴル・リヴォリ駅までには,ぼやっと歩いていると見逃してしまう小径がある。「ギャルリ・ヴェド=ロダ」とよばれる,通り抜けできるのさえ不安になるその細道は,フランス語で「パサージュ」という。英語でも綴りは同じ「passage」…
パレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル駅 さてヴァンドーム広場より北に伸びる平和通りは,高級ジュエリーの名店が軒を並べる。目の保養をしたい人にはおすすめだが,私にとっては豚に真珠。これ以上は北に進まず,再びカスティリオーネ通りを南下してリ…
コンコルド広場からテュイルリ庭園に入るとまず,左手(北側)にジュ・ド・ポーム,右手のセーヌ川沿い(南側)にオランジュリー美術館がある。モネの「睡蓮」を見たければオランジュリーに,現代写真に興味があればジュ・ド・ポームへと足を運ぶ。 「ジュ・ド・…
ルイ14世は即位するとまもなく,ルーヴル・テュイルリとは別の場所に居を構えている。それがパリ1区のもう1つの宮殿,パレ・ロワイヤルであった。もともと先代ルイ13世の宰相リシュリューの館であったが,リシュリューの死後王室のものとなった。(「パレ」は…
講師として2023年度に区切りがついたため,明日から海外へ出る。コロナ禍の渡航制限で5年ぶりのヨーロッパ方面への渡航である。2020年の春にはジョージア,アルメニアに行く予定をしていたが,コロナの騒ぎが大きくなったため,前日にキャンセルという英断を…
コンコルド広場の前に広がる広大な庭園はテュイルリ庭園。さてここからパリ1区に入ることになる。パリはこの1区を中心に時計回りの渦を巻いて20の区が並んでいる。1区には3つの宮殿があった。あったというのは今は2つしかないからである。ルーヴル宮殿,テュ…
シャンゼリゼの終点にはオベリスクが建っている。その周囲はコンコルド広場とよばれている。オベリスクとは古代エジプトの神殿などに建てられた記念碑である。エジプトのルクソールで対になって建っていたものの一本を,19世紀の中ごろ,エジプト国王ムハン…
フランクリン=ルーズヴェルトもクレマンソーも人名である。前者は第二次世界大戦で連合国を勝利に導き,フランス解放に大きく貢献したアメリカ大統領であり,後者は第一次世界大戦時のフランス首相である。 シャンゼリゼとモンテーニュ通りが交差するフラン…
1873年(明治6年)のことである。日本から岩倉具視を代表とする遣欧使節団がパリを訪れる。その子細は久米邦武による『米欧回覧実記』に記されているが,久米がみた凱旋門やパリの姿と我々がみるパリの姿は基本的にはそれほど違いはなさそうである。 「100年ほ…
「メトロ」が「地下鉄」を意味する語であるのは,フランス由来である。もともとは都市そのものを表すギリシャ語の「メトロポリス」からきているが,メトロという一語をもって大都市の動脈を象徴するようになったのはパリ一号線が最初である。1900年のパリ万…
ミラボー橋からエッフェル塔に向ってセーヌ川沿いを上流へと歩く。ミラボー橋の1つ上流の橋はグレネル橋。グレネル橋からビラケム橋までセーヌ川の真ん中に細い中州があり,白 鳥の島(小径)とよんでいる。グレネル橋の下には先ほどの自由の女神像が建ってい…
ジャヴェル駅の目の前,セーヌ川に緑色の鉄骨橋が架かっている。ミラボー橋である。フランス革命最初期の主人公の1人ミラボーの名にちなんでいる。ミラボーは自身が特権貴族階級にもかかわらず,第三身分(平民)代表として議会に席を置き,1789年の大革命では…