You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ポン・ヌフ~シテ島④~

 シテ島のもっとも西側,つまり下流にかかっている橋がポン・ヌフ。これもまた私の勘違いで,「ヌフ(neuf)」はフランス語で数字の「9」なので「第9橋」だと思い込んでいた。事実シテ島とセーヌ両岸は9本の橋でつながっている。しかし「neuf」にはもう1つ「新しい」という意味がある。つまりポン・ヌフは「新橋」というのが正解らしい。「新しい橋」とはいうが,今となってはパリの最長老橋となっており,私の持っている古地図「テュルゴーの地図」(1735)にもちゃんと描かれている。橋の中央には創建したアンリ4世の像がある。アンリ4世は15世紀末~16世紀初のブルボン王朝創始者で世界史史上「ナントの勅令」でよく知られる。するとこの橋の年齢も400歳以上ということになる。

 現在セーヌ川に架かっている橋は,ポン・ヌフのような石橋か,コンクリート橋か,鉄橋であるが,橋が架けられた400年前はほとんど木製だった。この点,日本も同じ400年前の信長・秀吉・家康のころとかわることはない。ところが日本に江戸時代初期の橋が今も残っているかとなるとポン・ヌフほどはっきり挙げることはできない。「ポン・ヌフのように丈夫だ」のように「しっかりしている」ことの比喩に使われるほどこの橋はその見た目の美しさ以上に広々として頑丈であるのがとりえだった。

 王侯貴族の豪華な馬車が行きかう。屋台や露天商が出される。大道芸人も集まる。やがてホームレスも寝泊りした。ポン・ヌフの両サイドにはいつくかのバルコニーが設けられており,そのスペースを巡って昼は商人が,夜はホームレスの場所とり合戦が繰り広げられたことだろう。ポン・ヌフに住みついたホームレスを主人公にした映画「ポン・ヌフの恋人」(1991)は日本でもちょっとした流行となったが,パリとて美しい光景ばかりではない。

 露天商の中には本屋もあった。19世紀,オスマン市長によるパリ改造計画によって橋の上での営業が禁止されると,本屋はセーヌ両河岸に別れて川沿いで営業を続けた。現在でもポン・ヌフを中心にセーヌ左右両河岸沿いに古本屋の屋台が広がっている。ブキニストとよばれる露天商だが,彼らはパリ市によって営業権が守られている。古本だけでなく,ポスター,写真集,絵はがきなどちょっとしたお土産物も買うことができる。店の前で立ち止まっても,セールス文句を並べ立てて何か買わせようとしきりに接客するわけでなく,店主たちは椅子に座ってじっと本でも読んでいるのでこちらも気楽に鑑賞することができる。歴史的な地図の複製品も数多く並べられており,「テュルゴーの地図」もそこで手に入れた。

 私の大好きなシャンソン歌手にシャルル=アズナヴールがいた。過去形なのは,数年前に亡くなったからである。ご存命中に生で歌声が聞きたかった歌手の1人であった。彼の代表曲に「五月のパリが好き」という曲がある。春らしいウキウキ感満載の軽やかな曲である。この中にブキニストが登場する。

J'aime Paris au mois de mai
Avec ses bouquinistes
Et ses aquarellistes
Que le printemps a ramenés
Comme chaque année le long des quais
J'aime Paris au mois de mai
La Seine qui l'arrose
Et mille petites choses
Que je ne pourrais expliquer

(五月のパリが好き

毎年のように春に誘われて

本の露天商や水彩画たちが河岸に並ぶ

五月のパリが好き

パリを潤すセーヌ川

とても説明できないような

無数の小さなことがら)


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(↑Zazとアズナヴールのたまらんセッション「五月のパリが好き」)

 

私がパリを訪れたのは仕事柄いつも3月であった。昔から五月のパリを訪れることができる人が羨ましくてしかたなかった。

 ついでにシャルル=アズナヴールの曲の中で私が一番好きなのは,「Tous les visages de l'amour(忘れじの面影)」という曲である。私史上でも五本の指に入る名バラード 

である。映画『ノッティングヒルの恋人』(1999)の主題歌(エルヴィス=コステロの英語版カバー)だというと思い出す人が多いかも知れない。

 もう1つついでに,私ら世代のヒーロー,シャー=アズナブルの名はシャルル=アズナヴールが元になっている。知っている人だけ頷いていただければよい。


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