ハリウッドといえばチャイニーズシアターであるが,なぜチャイニーズ様式(中華風)なのか,観光する側にはよく分からない。建設したのはシド=グローマンズなる興行師だということたが,彼はこれ以前にもスペイン風のミリオンダーラーシアター,エジプト風のエジプシャンシアターというのも建てており,生粋のアメリカ人であっただけ異国趣味が強かったのかも知れない。
チャイニーズシアターはアカデミー賞の授賞式(現在はドルビーシアター)や話題作の先行公開がおこなわれた映画の殿堂である。『スター・ウォーズ』のプレミア公開もここで行われた。『スター・ウォーズ』を失敗作だとあきらめていた監督のジョージ=ルーカスは,シアター前の大行列が自分の映画のものであるとは思わず,「羨ましい作品だ」と感じ入ったらしい。
シアターの前庭には有名人の手形・足形・サインが刻まれたセメントタイルがはめ込まれている。ここに名を刻むことこそが超一流のエンタテイナーの証とされる。私が真っ先に探したのはハンフリー=ボガートであった。シアターに向かって右手(東寄り)の真ん中あたりにそれはあった。「Humphrey Bogart」のサイン。そのイニシャル「H」・「B」の筆跡をその後しばらく私は真似をしていた。ボギーは私のあこがれの人であった。大人になってからはタバコの吸い方まで真似をした。
ハンフリー=ボガートといえば,『カサブランカ』(1942)。製作会社はやはりワーナー・ブラザース。私の人生の中の最優秀作品賞はこの映画であり,最優秀主演男優賞はボギーであり,最優秀主演女優賞はイングリッド=バーグマン。そして最優秀音楽賞は「As time goes by」で,『カサブランカ』が主要な賞を独占している。名台詞「Here’s looking at you, Kid」を「君の瞳に乾杯」と訳したのは,『ジャズ・シンガー』の字幕翻訳をした高橋鎮夫である。脱帽としかいいようがない。
サインの下には足形(正確には靴)と手形。上にはシアターの建設者シド=グローマンズに敬意を表して一言「Sid, May you never die, Till I kill you.」(シド,俺が殺すまで死ぬなよ)とメッセージ。痺れるではないか。ハードボイルドである。
『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』(大塚博堂 1976)という唄がある。「僕のまわりだけ 時の流れが遅すぎる」という歌詞が今では胸に沁みるが,ボギーにそしてボギーが演じた役に憧れていた高校生は,ボギーのようにはなれなかった。どこからだろうか,ギター一本で弾き語りをしているストリートミュージシャンの声が聞こえてきた。アルバート=ハモンドの『カリフォルニアの青い空』であった。スターを夢見てカリフォルニアにやってきた青年の夢破れた歌である。
カリフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)
アルバート=ハモンド(Albert Hammond)
Got on board a westbound seven forty-seven
Didn't think before deciding what to do
Ooh, that talk of opportunities, TV breaks and movies
Rang true, sure rang true
(西へ向かう747に乗ったんだ
何かしようと決めず,何も考えないままね
テレビや映画に出れるっていう話があって
本当だと思った,きっと本当だと思ったんだ)
Seems it never rains in southern California
Seems I've often heard that kind of talk before
It never rains in California, but girl, don't they warn ya?
It pours, man, it pours
(南カリフォルニアでは決して雨が降らないように思えるだろ
前からそんな話をよく耳にしただろ
カリフォルニアでは雨が降らない。ねぇ君,でもみんな教えてくれなかったじゃないか?
雨は降るんだよ。降れば土砂降りの雨なんだ)
カリフォルニアの晴天下,そのときいずれ私にも土砂降りの雨が降るなんて思いもしなかった。歌詞の中の”pour(土砂降り)”はたぶん「落ちぶれる」ことも意味しているんだろう。大人になるとは,間違いを犯し,恥をかき,後悔し,そしていろんなものを諦めていくことだと,あのときの歌い手が私に教えて(“warn=警告”)くれていたのかもしれない。