You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

パリへ

 パリを母都市とする国際空港には,パリ市の北西にシャルル=ド=ゴール空港,南にオルリー空港がある。よほど奇妙な乗り継ぎ便を利用しない限り,日本からの旅行者はシャルル=ド=ゴール空港に着くことになる。シャルル=ド=ゴール空港ができるまでは,オルリー空港が国際線を一手に担っていた。2つの空港は空港バスによって1.5時間ほどで結ばれており,日本でいうとちょうど成田と羽田の距離感である。

 パリ北部郊外には他にル=ブルジェという,第一次大戦後の1919年開港のフランス初の空港があった。あのチャールズ=A=リンドバーグが大西洋無着陸単独横断飛行をやってのけたとき,着陸したのがこの空港だった。このときのリンドバーグの飛行記録はのちに『The Spirit of St.Louis』という自伝そして映画にもなり,邦題を『翼よあれが巴里の灯だ』(1957)という。リンドバーグ自身の台詞のように勘違いされているが,実は邦訳者のオリジナルであることが翻訳本のあとがきで告白されている。だれもがあこがれるパリ,その夜景を空からみると思わず口走ってしまいそうな名フレーズである。

パリ ちょっとピンボケ

 日本からパリへのフライトは乗り継ぎ便をあわせれば,今でこそ無数にあるが,私が海外旅行をはじめた30年近く前にはそれほど選択肢はなかった。その中でも今でもお勧めなのが大韓航空。私が最初にパリを訪れたころは,まだ大韓航空爆破事件(1987)の記憶も新しく,利用するのには少し勇気がいったのだが,当時ヨーロッパへ飛ぶにはもっとも安く,ソウル乗り継ぎ(当時は金浦空港)の往復で8万~9万円だった。何より帰りのパリ発は夜出発のため,その日は夕方まで滞在できる。最近はヨーロッパでの乗り継ぎが多い旅のため大韓航空を利用しなくなって久しいが,現在でも往復10万円前後,直行便のエールフランスから比べれば30~40%は安く済む。もちろん航空券の価格は,どの航空会社も旅行の時期と予約のタイミングによって変動する。

 当時は今ほど日本人にとっても,ましてや韓国人にとっても海外旅行は気軽な娯楽ではなかった。そのためパリ行きの機内は満席ということはなく,探せば中央の4人並びの席がそのまま空席の場所もあり,1人で4席を独占できることもあった。つまり足をのばしてフルフラットに眠ることだって可能であった。