You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

サンジェルマン~セーヌ左岸①~

 セーヌ左岸に宿泊したのは,ロンドンから鉄道で海峡を越えてパリに立ち寄ったときであった。到着駅パリ北駅からRER:B線でシテ島向いのサンミシェル・ノートルダム駅で降りる。翌日はシャルル=ドゴールから空路帰国する予定であったため,空港へ直通するB線沿いに宿泊したかった。またセーヌ左岸はまだゆっくりと足を延ばしたことがなかったこともあって,この辺りにホテルをとった。

ホテルの名前は,ホテル・ヨーロッパ・セント・セブリン。駅からすぐ,セントセブリン通りにある3つ星ホテル。何よりこのホテルに決めた理由は,ロビーで買われている猫の投稿写真をみたことであった。猫好きの私としてはふてぶてしく椅子の上で丸まって寝ている猫ほどかわいいものはない。

 チェックインにはまだ早く,ホテルに荷物を預けたまま,近くでガレットを食べたあと,駅前のサンミシェル広場から歩き始める。セーヌ川に架かる目の前の橋はサンミシェル橋。広場には大天使ミカエルの像が立っいている。サンミシェルは聖ミカエルのフランス語読み。キリスト教では大天使または天使長の地位にあるとされる。このようなキリスト教の天使についてはミルトンの『失楽園』がもっとも手に入り易いし,読み易い。難易度の高いものといえば,偽ディオニシウス=アレオパギタの『天上位階論』があるにはあるが,手に入れ難く,読み難い。日本でキリスト教研究といえば上智大学だが,この大学の中世思想原典集成は学生時代大いに参考にさせて頂いた。

 

サンミシェル広場

 しばらく河岸のブキニストを散策して下流へと歩いていく。オードリ=ヘップバーンをモデルにしたポスターや古いファッション雑誌の巻頭写真がやたらと眼に入る。ヘップバーンにはパリを舞台にした映画が多い。『昼下がりの情事』や『麗しのサブリナ』はもちろん,パリを冠した『パリの恋人』・『パリで一緒に』はもう私の中では完全にごちゃ混ぜになっている。フレッド=アステアと踊りまくったのはさてどっちであったろうか。

 セーヌ河沿いの河岸通りはrue(通り)ではなく,「ケ(quai)・~」とよばれる。Quaiは海ならば「波止場」のことである。セーヌ川の両岸は船着場としても整備されている。18世紀の「テュルゴーの地図」にもセーヌ川には魚の群れのように船が描かれているし,実際に現在も観光遊覧船だけでなく,ひっきりなしに作業船や運搬船が行き来する。パリは内陸ではあるが,港町といってもよい。エンジンをつんだ船が発明される前は,岸辺から馬に引かせて川を遡った。

セーヌ左岸の船着き場


 河岸を下り,向こう岸にルーヴルがみえるようになったころ,ボナパルト通り(Rue Bonaparte)に入って南下する。前に広場が見えてきたらそこがサンジェルマン・デ・プレ教会。現存するパリ最古の教会で6世紀に建造され,聖ジェルマンの名前がつけられた。

 

サンジェルマン・デ・プレ教会


 このサンジェルマンという名はフランスではよく耳にする名前である。教会の前の通りはサンジェルマン通りで,パリ左岸の目抜き通り。世界史では第一次世界大戦後の対オーストリア講和条約としてサンジェルマン条約の名が出てくる。これはパリ郊外のサンジェルマン=アン=レー城で結ばれた。パリをホームとするサッカーチームはパリ=サンジェルマン。フランスの地方にもサンジェルマンを冠する場所が多数ある。私的には18世紀,多くの逸話を残した謎の人物サンジェルマン伯爵の名から,この名前には悪魔的などこか暗く妖やしい印象をもっている。「芸術家」・「科学者」・「神秘主義者」・「錬金術師」・「不死者」・「ペテン師」,さまざまな異称をもつ伝説の人物。18世紀に実在したことは確かだそうだが,彼に関する資料はナポレオン3世によってテュイルリ宮殿に集められたが,それらはテュイルリと運命を共にしたというのは都合が良すぎる。

 サンジェルマン・デ・プレ教会の近くにはカフェ・ド・フロールがある。カフェとしての歴史はさほど古くないが,詩人アポリネールなどの文人,サルトル,ボーヴォワールら実存主義者から,アラン=ドロンら男前俳優たち有名人のたまり場であった。さらにパリでもっとも古いカフェもこの近くにあるのでいってみよう。

カフェ・ド・フロール

 サンジェルマン通りを今度は東に進む。アンシエンヌ・コメディ通りが見えたらそこを入ろう。右手に見えてくるのがカフェ・プロコープだ。店の看板には創業1686年となっている。日本では徳川綱吉の元禄時代。

 ヴォルテール,ルソー,マラー,ダントン,デムーランにロベスピエールらが政治議論をかわし,おそらくその傍らには貧しかった若き日のナポレオンが座っていた。ナポレオンはコーヒー代の替わりに自分の帽子を置いていったという伝説のカフェ。店頭には今でもその帽子が飾られている。

カフェ・プロコープ

ナポレオンの帽子