You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

カルチェラタン~セーヌ左岸②~

 サンジェルマン通りとサンミシェル通り,2つの大通り(ブルヴァール)が交差するあたり,この周辺はカルチェラタンとよばれる学生街である。「カルチェ」は地区,「ラタン」は「ラテン」を意味する。かつてヨーロッパの学問語であったラテン語が話される地区という意味で,ここにはヨーロッパ最古の大学の1つ,パリ大学があり,ヨーロッパ各地からの学生たちがラテン語で会話を交わした。

カルチェラタンの飲食店街

 パリ大学というのは,東京大学というときの大学とは少し違う。パリ大学という大学自体があるわけではなく,いくつかの大学群を称してそう呼ぶ。このうち13世紀のソルボンヌが開いた神学部が中世ヨーロッパ最高峰とされたため,ソルボンヌ大学の名前が前に出るようになり,ソルボンヌ大学といえばパリ大学の代名詞のようになった。そのころソルボンヌで神学を学びスコラ哲学を大成したとされるトマス=アクィナスは,私の卒論のテーマとなった人物である。『偽ディオニシウス神名論註解』の第四章を訳したが今から思えば,悪魔に取りつかれた日々であった。

 パリ大学出身で日本の歴史と関係が深い人物といえば,フランシスコ=ザビエルがそうである。ザビエルは学友のイグナティウス=ロヨラらとともにモンマルトルの丘で神への誓いをたて,イエズス会を結成した。マクシミリアン=ロベスピエールにはじまり,エマニュエル=マクロンに至るフランス共和政の歴々たる政治家の多くもこの大学出身者である。

 サンミシェル通りから1本東側の通りのソルボンヌ通りは,名前のままソルボンヌ大学に沿って南にやや上り坂になっている。このあたりは,その昔サント=ジュヌヴィエーヴの丘とよばれ,高台になっている。キリスト教が入り込む前はカエサルをはじめローマが拠点とした場所でもある。メロヴィング朝のキリスト教受容後はサント=ジュヌヴィエーヴの丘とよばれ,その名が示すように聖ジュヌヴィエーヴのちなんでおり,いくどとなくパリの危機を救ったといわれるこの聖女はパリの守護聖人となった。

 現在この丘の支配者はパンテオンである。坂道を登りきるとたどり着いたところに建つ「万神殿」。ローマにもあるが,宗教を問わずあらゆる神が祭られた施設の呼称である。ルネサンス以降は,神ではなく生身で生きた偉大な人物を称える役割へと変化していったが,ヴィクトル=ユーゴー,アレクサンデル=デュマ,エミール=ゾラ,ジャン=ジャック=ルソーなどかつて夢中になって読んだ文人たちが埋葬されている。

パンテオン

 マリーとピエールのキュリー夫妻のような科学者の名前もあり,パンテオンは科学史においても重要な役割を果たしている。パンテオンの内部には中央ドームから大きな振り子が吊り下げられており,『フーコーの振り子』とよばれる。19世紀,レオン=フーコーがパンテオンでおこなった振り子の実験は地球の自転を証明するものとして,現在でもその振り子は揺られ続けている。ウンベル=エーコの同名の小説『フーコーの振り子』との出会いは,『薔薇の名前』を経て,大学で中世美学を専攻することになる転機となった。

 

 パンテオンを背にすると坂の下にはリュクサンブール公園,そしてその向こうには落ちる日の光を受けてエッフェル塔の影が揺らいでいた。

 

 パリの朝は清掃車の轟音で目覚める。何事かと窓の外をみると,緑の清掃車が水をまいて街路のゴミを洗い流している。パリの街の空気は埃っぽく,大気汚染も激しい。その日の朝は,パリの公共交通機関がすべて乗り放題となっていた。理由は大気汚染レベルがひどく,市民に自動車の使用を控えさせるためであった。

 朝水をまかれた石畳の道は黒光りして,空気は水を含んで冷たくて気持ちいい。ある意味パリが最も綺麗な時間帯は朝だといえるかもいれない。