ドーデの『最後の授業』は私と同世代の人は懐かしい思い出だろう。小学校の国語の教科書に載っていた短編だが,これほど皆がよくおぼえている外国文学も珍しい。知らないひとのために簡単にあらすじを話すと,ちょうど普仏戦争が終結したアルザスのある少年の話である。ドイツに敗れたアルザスの学校では明日からフランス語ではなく,ドイツ語の授業が始まる。フランス語を教えていた教師は今日を最後に学校を去る。フランス語教師はフランス語のすばらしさを子どもたちに訴えて学校を去る。少年もサボっていた自分を恥じるように最後の授業を熱心に受ける。授業の最後に教師は黒板に「フランス,万歳」と書いて教室を去る。「フランス,万歳(ヴィヴ・ラ・フランス)」。これがわたしたちだれもが覚えた最初のフランス語であり,そして何十年も忘れることがなかったフランス語。
私と同世代の人は,たいていの人はこの物語を覚えている。他の物語はほとんど記憶にないのにこの物語が印象深く心に残っているのは,このお話が小学校6年生の卒業間近に習ったお話であり,まさに「最後の授業」という感傷が入り混じっていたからではないだろうか。
そんな我々世代には忘れがたい物語であるが,この話は1990年代には教科書から消えていったらしい。よく考えてみればおかしな話である。アルザスの人にとっては,その領有がフランスであろうとドイツであろうとたいした違いはなかったはずである。そもそもアルザスには独自の言語が存在し,だからこそフランス領であったころは物語のように中央からフランス語の教師が派遣されたわけで,この話のもう1人の主人公であるフランス語教師はあくまでもフランス中央政府を代表しているのである。住民にとってはフランス語教師もドイツ語教師も自分たちの文化を侵しに来たエトランゼ(異邦人)にはかわりない。ここに住む少年たちの苦しみは,フランス語教師が派遣されたときにはじまり,ドイツ語教師が赴任してもなお続くのである。ドーデはフランスの立場からこの物語を書いたが,別の時期にドイツの立場でだれかが似たような物語を書いてもこの物語は成立するのかもしれない。
ともあれあの時は私自身も感動を覚えたあの国境の地方アルザスがどんなところかみてみたかった。今の子どもたちにもよくも悪くもそんな忘れることのない物語はあるのだろうか。わたしなど見たいものだらけ,行ってみたいところだらけである。大切なのは感受性を刺激することであり,大人がどう教えようが子どもはやがて自分の目でものをみるようになる。そのときによいか悪いかを判断すればよい。
ドーデの『最後の授業』は民族意識や愛国主義以外にも大切な教訓がある。それは今を大切にするということである。主人公の少年もフランス語の先生も日常が永遠に続くように感じていた。しかしそれがそうではなくなったとたん,それまでの日常を後悔する。もっと勉強しておけばよかった。もっとしっかりと教えておけばよかったと。突然の終わりに備えることはだれしも難しいが,もしそうなったときできるだけ後悔しない生き方をしなければならない。小学校の勉強を終えるにはもってこいの話ではないかと歴史的事実を学んだ今でも,ドーデに騙されたとはこれっぽっちも思っていない。