You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

岩山の黒い聖母~ルピュイ~

 リヨンからルピュイという町を訪ねる。「ピュイ」とはフランス語で「丘」を意味する。リヨンからルピュイまではサン=エチエンヌで乗り換えてローカル線で2時間半。降りるとその町名に納得する。むき出しの岩山が地面から突き出している。それだけではない,その狭い頂上に教会が立っていたり,聖母子像が建っていたりする。しかもこの聖母子像はレンガのような赤褐色ときている。奇岩と異色の聖母子像,この光景をみたかった。

 小さい町だから,迷うことはない。駅舎から目の前の岩山にそびえる赤い聖母子像を目指して歩く。道はかなり入り組んで迷路のようになっているが,多少迷ってもすぐに修正できる。聖母子像が建つ山の麓にはルピュイのノートルダム寺院(ノートルダム・デュ・ピュイ)がある。「ノートルダム」は「我らが母」の意味であり,「聖母マリア」のための教会であるが,ここのマリアはまたかわっている。黒い(褐色)のだ。その名も「黒い聖母」としてキリスト教徒には知られている。なぜ黒いのか?当然実在のマリアの肌の色が黒かったわけではない。「黒い聖母」は各地にあるが,ここより南のフランスやイタリアに集中している。ルピュイのノートルダム寺院のものがもっとも古いとされている。

 奇岩の光景が示すように,この地は原始時代から聖地として崇められていた。かつてフランスがガリアとよばれていたころ,住民のケルト人はインドのカースト制度のような宗教的指導者であるドルイドを社会の最高位として崇めていた。いわゆるドルイド教である。このドルイド教が聖なる地としていた場所と黒い聖母がある場所が一致しているともいう。のちにキリスト教がヨーロッパ各地に広まっていく中で聖母マリアと土着のドルイド教の大地母神信仰が結びついていったのではないかという説。ルピュイのノートルダムには「黒い聖母」のほかに「熱病の石」とよばれる玄武岩の黒い平たい岩があり,崇拝されている。寺院が建てられるずっと前からあったそうだが,この石の上に横になると熱病が治ったという話もある。まさにドルイドの聖地にキリスト教の聖母を重ねたのがこの寺院というわけだ。

 流浪の民ロマをその起源とする説もある。ロマはジプシーともよばれた。ジプシーとは「エジプト人」がなまったもので,彼らはエジプト出身だと思われていたが,実のところインドからはるばる旅をしてきたアジア系の民族である。インドの人々の土着の宗教はバラモン(ヒンドゥー)教であった。宗教的指導者の社会の最高位とする点ではドルイド教に似ているし,自然崇拝の宗教である点も同じだ。

 彼らはヨーロッパに入って旅を続けるうちに,キリスト教を受け入れていくが,先祖代々の宗教観も捨てずに守っていく。その中で黒い聖母信仰が生れたのではないかというわけである。そういえばインドなどの南アジアの人々はアジア系の民族の中でも肌の色が黒い。

 もう1つ,キリスト教内部からキリスト教自身が黒いマリアをつくりだしたという説もある。これはヨーロッパの人がよくミステリーで使う手で,はっきりしない伝説を「実はこうだった」的な発想だ。日本でいえば,源義経は殺されずに逃れたとか。ここでの主人公は同じマリアでもマグダラのマリアという人物である。新約聖書には立派に登場する人物でキリスト教では聖人とされている。

 しかしこのマグダラのマリア,実は娼婦だっただとか,イエスの妻だったとか「罪深い女」を象徴する人物としての伝説が残っている。ダ・ビンチの最後の晩餐でイエスの右隣(絵に向って左)に座っている女がマグダラのマリアであり,イエスの間に子を設けたというのが一時はやった『ダビンチ・コード』であった。「罪」=「黒」というイメージから,マグダラのマリアへの信仰が「黒い聖母」信仰へとかわったというのだ。

 どの説がほんとうか,いやさまざまな説が入れ混じって黒い聖母が生み出されたのか,ほんとのことはわからないが,「奇岩」・「黒い聖母」と「熱病の石」はパワースポットとしては十分な資質を備えていた。このルピュイは中世から多くの巡礼者が訪れ,あのスペインのサンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼の道の起点の1つとなっている。

 ノートルダム寺院までたどりつくのに結構な坂道を登ってきたが,寺院の裏手にあるコルネイユ岩に登るにはもうひとがんばり必要だ。赤い聖母子像が目当てだけなら上るのをやめてもいいが,何せこの街ではもっとも高い地点である。それなりによい景色が望めるのではないかと期待して上ることにした。

 岩の頂上を台座に立っている聖母子は,陶器のような赤い色をしているが材質は鉄である。19世紀,クリミア戦争でロシアから奪った大砲を使って建てたというから平和というより戦勝記念である。どうも抱かれている子のイエスの態度がいまひとつ気に入らない。聖母の足元からは360度ルピュイの街を一望でき,北西の方角にはもう1つの岩山を見下ろすことができ,その岩山の狭い頂上には教会が立っている。サンミシェル礼拝堂だ。まったくどうやってあんなところに教会を造ったのか不思議でしかたないが,よくよく考えてみるとどうしてこんなところにという建築物は世界にも日本にもちょくちょくあるものだ。高い岩山はそれだけ神の領域に近く,かつ下界の煩わしさからも隔離されるので修行者たちはそこに神聖さを求めたのであろう。