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ある社会科講師の旅の回想録

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サイゴン大聖堂~ベトナム紀行⑫~

 ドンコイ通りをさらに北西に歩くと,その先に街路樹の隙間から赤煉瓦の建物が見えてくる。サイゴン大聖堂。フランス植民地時代に建てられたカトリックの教会である。グレアム=グリーンは『おとなしいアメリカ人』の中で,その場所を「悪趣味なピンク色の大聖堂が道をふさいでいるところ」と書いている。

 ドンコイ通りはこの聖堂広場から始まる。ベトナム共和国(南ベトナム)時代は,暗殺されたケネディ米大統領に敬意を表して,ジョン=F=ケネディ広場と命名された。サイゴン陥落後はベトナム語で「Cong xa Paris」と改名。調べてみると「パリ・コミューン」の意味らしい。パリ・コミューンとは,1871年にパリ市民によってつくられた世界初の社会主義(労働者)政府である。歴史的な出来事であったが,わずか2ヶ月で崩壊した。フランス植民地であったこと,社会主義国であることを考えると「東洋のパリ」とも称されるサイゴン中心部の命名としてはなかなかのものである。

 大聖堂が悪趣味であるかは別として,カトリックはベトナムで仏教徒に次いで信者が多く,聖堂はベトナムの敬虔な信徒にとっては信仰のよりどころとなっている。『おとなしいアメリカ人』の「悪趣味」云々のくだりの続きはこうである。「(カティナ街のテロのあと)すでに大衆はそこ(大聖堂)へ詰めかけていた。死者のために死者に向かって祈ることができるのは人々にとって慰めであるに違いなかった。」

 ベトナムは無神論を唱える社会主義(共産主義)の国であるから,表向き国民の大半は無宗教ということになっている。実際は潜在的に仏教徒が最も多く,ついでキリスト教カトリックの信者が多い。キリスト教の中でもカトリックが多いのは,元宗主国フランスがカトリックの国だからであろう。

 第二次大戦後,ベトナム北部がまず共産化されると,カトリックの信者は南部に逃れた。アメリカの支援を受けて南ベトナム(ベトナム共和国)の初代大統領となったゴ=ディン=ジェムはカトリック教徒で,カトリック優遇政策をおこない,共産主義ばかりでなく仏教徒に対する弾圧もおこなった。ゴ政権のこういった強権的な政治は国民やアメリカの不評を買い,ズオン=バン=ミンによる軍事クーデターによって幕を閉じた。もちろんその影にアメリカがいる。

 結婚式であろうか,そのための記念撮影であろうか,タキシードとウェディングドレスに身を包んだカップルが,プロらしきカメラマンに様々なポーズで写真を撮られている。ベトナムでは凝ったウェディングフォトが大流行らしいといつかテレビでみたことがある。よくみると大聖堂の周辺で撮影しているカップルは1組どころではなかった。あちらにも,こちらにも。