You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ライの王~カンボジア⑧~

 アンコール=トム③

 バイヨンのすぐ北にあるバプーオンという遺跡。11世紀,ジャヤヴァルマン7世以前であるのでヒンドゥー寺院である。入口から寺院まで円柱列に支えられた「空中参道」を渡っていく。200mほどある。

 バプーオンの北側はアンコール朝の歴代王が居を構えた王宮があったところ。「象のテラス」などいくつかの宗教施設は残っているが,王宮は痕跡をとどめていない。その理由は木造であったからだという。アンコール遺跡群では,すべて石でできている宗教建築以外の街並みはほとんど現在残されていない。人間の住まいはほとんど木造であったからだろう。王宮の城壁内にはかなり空白部分があるが,文献による記録から創造するしかない。

 国宮(王宮)および官舎・府第(役所の建物)はみな東に面している。国宮は金塔(バイヨン)・金橋の北にあり,北門に近く,周囲は五,六里ばかりである。…

 国王が莅事(りじ)する処(国王が政事を見る場所)には,金窓があり,その欞(れい 窓格子)の左右の四角い柱の上に鏡がある。鏡は約四,五十面あって,窓のわきにならべ置かれている。その下は象の形をなしている。(象のテラスのことであろう)

 その(王の)次の,王族・大臣らの家屋のごときは,つくりと広さが常人の家と大いに異なっている。周囲の(建物)はみな草ぶきの屋根を用いるが,ただ祖廟および正寝の二ヵ処のみは,瓦を用いることを許す。…

 その下の庶民の家のごときは,ただ草屋根を用いるだけで,少しの瓦も決して屋根に上げない。…(『真臘風土記』周達観 平凡社東洋文庫)

 西洋では聖域も人間界も石造り,日本は両界とも木造り,東南アジアでは聖域は石造り,人間界は木造り。面白い。

 王宮の北側,象のテラスの先に「ライ(癩)王のテラス」というスペースがある。癩病(ハンセン病)にかかった王の像(レプリカ)が置かれている。(本物はプノンペン博物館)ジャヤヴァルマン7世の創建であるが,ジャヤヴァルマンが癩の王を意識してつくったわけではなく,その彫像が発見された当時の像の状態から,癩病を連想して名付けられた。これを当地で見た三島由紀夫は『癩王のテラス』という戯曲を書いている。この戯曲ではライ王=ジャヤヴァルマン7世として創作されているが,ジャヤヴァルマンがこの感染症に罹患したという事実はない。

 三島のこの作品も「時間」が1つのテーマであったかもしれない。バイヨン建設を思い立ったジャヤヴァルマン7世は,その直後から癩病を発症する。幕ごとに歳を重ねるが,壮麗なバイヨンが完成に近づくにつれて,王は病に蝕まれていく。いよいよ完成となったそのとき,王は死ぬ。王都と王国もまた王と同じ運命をたどるという物語である。

 

 この地域では癩病はかつて風土病ともいえるぐらいよくあったという記録が,また『真臘風土記』に残されている。

 この国の人は通常,病があると,多くはそこで水に入ってひたり浴し,ならびに頻頻に頭を洗う。(そうすると)すぐに自然と病がなおる。

 しかし癩を病む者が多く,比比として多数の病人が道路の間に(居る)。土地の人はこれとともに臥しともに食べても,また感染しない。あるひとは,彼(カンボジア)の中では風土でこの疾(やまい)があるのだという。又,以前に国主でこの疾をわずらったものがあり,その故に人はこれを嫌わないのだという。

 20世紀になってなお,先進国においてもハンセン病患者は非科学的な理由で過剰な差別を受けてきたことを考えると,近代科学をもたなかった当時のカンボジア人が感染性の低さを見切り,なおかつ衣食をともにしていたことは,瞠目に値する。癩をわずらった王もまた尊敬されており,ライ王のテラスに座していた像もまた信仰の対象となっていた。

 ここまで来たところで,もうシャツは雨にでも打たれたように汗でびっしょりと濡れている。やはり一度ホテルで着替えてクールダウンするのがよさそうだった。王宮前の駐車場で若いドライバーはすぐに私たちを見つけてくれた。そのまま車に乗り込むのも何だか気が引けた。

バプーオン

象のテラス